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平安時代1051〜1087年政治・外交重要度 A

前九年の役・後三年の役―なぜ源氏の名声と奥州藤原氏が成長したのかぜんくねんのえきごさんねんのえき なぜげんじのめいせいとおうしゅうふじわらしがせいちょうしたのか

一言でいうと

11世紀後半の東北では、1051〜1062年の前九年の役と1083〜1087年の後三年の役が起こりました。前九年の役では陸奥の安倍氏と源頼義・義家らが戦い、出羽の清原氏の協力によって安倍氏が滅亡します。その結果、源氏が東北を直接支配したのではなく、清原氏が奥羽で勢力を拡大しました。後三年の役は、その清原氏内部の争いに源義家が介入したもので、朝廷は公式な征討戦とは認めませんでした。戦後、源義家は東国武士の間で名声を高める一方、清原氏の勢力基盤を継承した藤原清衡が平泉を拠点とし、奥州藤原氏へつながっていきます。

前九年の役の前、東北は朝廷が完全に支配していたのか

そうではありません。11世紀中ごろの陸奥では、北上川流域を中心に安倍氏あべしが大きな勢力を持っていました。

安倍氏は朝廷から完全に独立した国家ではありませんが、中央から派遣された国司の支配が地域全体へ容易に及んでいたわけでもありません。中央の国司と、現地に強い基盤を持つ有力者が並存していたことが前九年の役の背景です。

1051年―前九年の役が始まる

1051年、陸奥守の藤原登任と安倍氏との間で戦いが起こりました。その後、陸奥守となったのが源頼信の子、源頼義みなもとのよりよしです。安倍氏の中心人物は安倍頼時あべのよりときでした。

前九年の役という名称ですが、1051年から1062年まで全体では12年間に及びます。戦闘が一時収まった時期もあり、後世の名称と単純に年数を一致させないようにします。

源頼義・義家だけで安倍氏を倒したのか

違います。頼義と、その子の源義家みなもとのよしいえは安倍氏と戦いましたが、安倍貞任らの抵抗によって苦戦しました。

そこで頼義が味方につけたのが、出羽に大きな勢力を持つ清原氏きよはらしです。清原武則らの軍事力が加わることで形勢が変わり、1062年に安倍氏は滅亡しました。

したがって、源氏が圧倒的な軍事力だけで安倍氏を征服したと理解するのは不正確です。

前九年の役のあと、誰が東北で強くなったのか

源頼義・義家の軍事的な名声は高まりましたが、源氏が安倍氏の旧勢力圏を直接支配したわけではありません。

戦後に安倍氏の勢力圏を受け継いだのは、源氏側へ協力した清原氏でした。清原氏はもともとの出羽での勢力に加え、陸奥の奥六郡にも影響力を広げ、奥羽の有力勢力となります。

藤原清衡は前九年の役とどう関係するのか

後の奥州藤原氏につながる重要人物が藤原清衡ふじわらのきよひらです。清衡の父・藤原経清は安倍氏と婚姻関係を持ち、前九年の役では安倍氏側で戦いました。安倍氏の敗北後、経清は処刑されます。

幼かった清衡は生き残り、母が清原氏へ再婚したため、清原氏の一員として成長しました。安倍氏側の藤原経清の子が清原氏の一員となった、という関係を押さえると後三年の役が理解しやすくなります。

なぜ後三年の役が起きたのか

前九年の役後に強大となった清原氏では、やがて家督や所領をめぐる内部対立が起こりました。中心となったのが清原真衡・清衡・家衡らです。

したがって後三年の役は、最初から朝廷や源氏が東北の反乱者を征討するために始めた戦争ではありません。基本的には清原氏内部の争いから始まった事件です。

1083年―源義家が陸奥守となる

1083年、前九年の役にも参加していた源義家が陸奥守として東北へ赴任しました。頼信 → 頼義 → 義家と、河内源氏三代が軍事活動と地方官経験を積み重ねています。

義家は清原氏の争いへ介入しますが、最初から清衡だけを支援していたわけではありません。真衡の死後には清衡と家衡へ旧領を分け、その後両者の争いが激しくなると清衡側について家衡・武衡らと戦うことになります。

1087年―金沢柵が陥落する

戦いの終盤で重要なのが、現在の秋田県横手市周辺にあった金沢柵かねざわのさくです。家衡側には清原武衡も加わり、義家・清衡側との戦いが続きました。

1087年、義家側は金沢柵を包囲し、兵糧攻めなどによって家衡・武衡側を追い詰めました。金沢柵の陥落によって後三年の役は終結します。

後三年の役は朝廷の反乱鎮圧だったのか

前九年の役との大きな違いです。朝廷は、後三年の役を清原氏への正式な征討戦とは認めず、源義家が清原氏内部の争いへ介入した私的な戦いと判断しました。

そのため、戦後に義家側が恩賞を求めても十分には認められませんでした。大学受験では一般的な名称である後三年の役を覚えつつ、実態は朝廷の公式な征討戦とは異なることも理解します。

なぜ源義家の名声が高まったのか

朝廷から十分な恩賞が出なかったため、義家が自らの財産を使って従った武士たちへ報いたと伝えられています。これによって義家と東国武士との人的な結びつきが強まったと考えられています。

ただし、ここで鎌倉幕府の御恩と奉公が完成したと考えるのは早すぎます。重要なのは、朝廷の官職だけでなく、有力武士個人と従う武士との関係が軍事的・政治的な力となっていく動きです。

後三年の役のもう一人の勝者―藤原清衡

源義家は大きな武名を得ましたが、東北で大きな政治的成果を得たのは清衡です。家衡・武衡側が敗れたことで、清衡は清原氏が持っていた勢力基盤を継承しました。

その後、清衡は父方の藤原姓へ戻り、平泉を拠点として勢力を築きます。これが後の奥州藤原氏おうしゅうふじわらしへつながります。

源氏は二つの戦いで東北を支配したのか

支配していません。前九年の役後には清原氏が勢力を拡大し、後三年の役後には藤原清衡がその基盤を継承しました。

二つの戦いでは、源氏が東国武士の間で軍事的な威信を高める一方、東北では安倍氏 → 清原氏 → 奥州藤原氏という地域権力の変化が進みました。この二つの流れを同時に見ることが重要です。

合戦絵巻は当時の記録写真なのか

前九年・後三年の戦いは後世の絵巻にも描かれました。『後三年合戦絵詞』などは、戦いからかなり後の時代に制作された作品です。

そのため、絵巻を当時の戦場をそのまま写した記録とは考えません。後世の人々が合戦をどのように記憶し、武士の戦いをどう表現したかを見る資料として利用します。

このページで覚えたい流れ

1051年、陸奥で安倍氏と国司側の戦いが始まる → 源頼義が陸奥守となる → 安倍氏との戦いで源氏側も苦戦する → 出羽の清原氏が源頼義側へ加わる → 1062年、安倍氏が滅亡する → 清原氏が安倍氏の旧勢力圏を受け継ぎ奥羽で強大になる → 安倍氏側だった藤原経清の子・清衡は清原氏の一員として生き残る → 清原氏内部で争いが起こる → 1083年、陸奥守の源義家が介入する → 義家は清衡側について戦う → 1087年、金沢柵が陥落する → 朝廷は義家の戦いを公式な征討戦と認めない → 義家は東国武士の間で名声を高める → 清衡は清原氏の勢力基盤を継承する → 藤原清衡として平泉を拠点に勢力を築く → 奥州藤原氏へ

源氏の武名上昇と、安倍氏 → 清原氏 → 奥州藤原氏という東北地域権力の変化を同時に理解します。

Review

入試で押さえるポイント

  • 前九年の役は1051〜1062年。陸奥の安倍氏と源頼義・義家らが戦った
  • 安倍氏の滅亡には出羽の清原氏の協力が重要で、戦後は清原氏が奥羽で勢力を拡大した
  • 後三年の役は1083〜1087年。基本的には清原氏内部の争いへ源義家が介入したもの
  • 1087年、金沢柵が陥落。朝廷は後三年の役を正式な征討戦とは認めなかった
  • 源義家は東国武士の間で軍事的威信を高めたが、源氏が東北を直接支配したわけではない
  • 藤原清衡が清原氏の勢力基盤を継承し、平泉を拠点とする奥州藤原氏へつながった

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理解度チェック

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0 / 5 問回答

  1. 問1

    前九年の役は、その名称どおり1051年から9年間だけ続いた戦争である。

  2. 問2

    前九年の役で安倍氏を滅ぼしたのは源頼義・義家の軍事力だけであり、他の地域勢力の協力は重要ではなかった。

  3. 問3

    後三年の役は、最初から朝廷が東北の反乱者を征討するために始めた公式戦争だった。

  4. 問4

    朝廷は後三年の役を公式な征討戦とは認めず、源義家側への恩賞も十分には認めなかった。

  5. 問5

    前九年・後三年の役を通じて源氏は東北を直接支配したのではなく、東北では清原氏から藤原清衡へ地域権力が移っていった。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 前九年の役が起こる
  2. 後三年の役が起こる
  3. 武士団が成長する
  4. 源氏・平氏が武家の棟梁として勢力を伸ばす
  5. 奥州藤原氏が平泉を拠点に勢力を広げる

Sources

参考資料

  1. 世界の平泉へ―平泉の歴史岩手県立図書館

    前九年合戦、清原氏、後三年合戦、藤原清衡と平泉成立の流れについて参照。

  2. 後三年合戦横手市

    後三年合戦の性格、清原氏内部の争い、源義家と藤原清衡について参照。

  3. 後三年合戦年表横手市

    1083〜1087年の戦闘経過と金沢柵陥落について参照。

  4. 後三年合戦絵詞国立国会図書館 NDLサーチ

    後世に制作された合戦絵巻の資料情報について参照。