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平安時代838〜907年政治・外交重要度 A

遣唐使の停止と東アジア交流―894年、日本は海外交流をやめたのかけんとうしのていしとひがしあじあこうりゅう 894ねんにほんはかいがいこうりゅうをやめたのか

一言でいうと

838年に出発した遣唐使が、実際に唐へ渡った最後の遣唐使となりました。その後56年ぶりに894年の派遣が計画され、菅原道真が遣唐大使に任命されます。しかし道真は唐の政治的混乱や航海の危険などを踏まえ、派遣を再検討するよう求めました。結局この遣唐使は派遣されませんでした。ただし、ここで日本と大陸との交流が終わったわけではありません。9世紀には唐や新羅などの商人が来航し、鴻臚館などで交易を行っていました。遣唐使という国家が大規模な使節を送る方式が終わっても、商人・僧侶・文物の往来は続きます。894年は日本が外国との交流をやめた年ではなく、東アジアとの交流方法が変化する大きな節目として理解します。

838年―これが実際には最後の遣唐使となる

平安時代に入っても遣唐使は続いていましたが、奈良時代ほど頻繁には派遣されなくなっていました。838年、承和年間の遣唐使が唐へ渡ります。

この遣唐使には、天台宗の僧円仁えんにんも参加しました。円仁は唐に残って各地を巡り、仏教を学んだ後、847年に帰国します。

結果として838年に出発した遣唐使が、実際に唐へ渡った最後の遣唐使になりました。894年にも新たな遣唐使が計画されますが、出発しなかったためです。『838年=最後に実際に渡った遣唐使』『894年=次の遣唐使計画が停止される』と区別します。

なぜ56年間も次の遣唐使が来なかったのか

遣唐使は毎年送られる使節ではありません。多数の人員と数隻の船を準備し、長距離航海を行う巨大な国家事業でした。海上航行には大きな危険があり、過去の遣唐使でも遭難や漂流が繰り返されています。

一方、9世紀になると唐や新羅などから商人が日本へ来航するようになり、国家が遣唐使を送らなくても中国の文物や情報を入手できる機会が増えていきました。

つまり、唐へ国家使節を送らなければ大陸の文物や情報を得られないという状況ではなくなりつつありました。

894年―菅原道真が遣唐大使となる

894年、宇多天皇のもとで久しぶりに遣唐使派遣が計画されました。遣唐大使に任命されたのが菅原道真すがわらのみちざねです。

道真は文章博士を務めた学者で、中国の歴史や漢文学にも詳しい人物でした。後に右大臣まで昇進します。

ここで『中国文化を嫌った道真が遣唐使をやめた』とは考えません。中国の学問と情勢に詳しいからこそ、当時の唐の状況と国家使節を送る必要性を検討できた人物として見ます。

道真はなぜ派遣に疑問を示したのか

9世紀後半の唐では政治的混乱が続き、治安も悪化していました。さらに日本から唐までの航海そのものにも大きな危険がありました。

道真はこうした情報を踏まえ、遣唐使を予定どおり派遣するべきか、公卿たちに改めて議論させるよう求めました。

そして894年の遣唐使は、結局派遣されませんでした。

遣唐使廃止と遣唐使停止はどちらが正しいのか

教科書や年表では長く『894年、菅原道真の建議によって遣唐使を廃止』と説明されてきました。受験上、この表現を知っておく必要はあります。

しかし道真の建議は、遣唐使を送るべきか停止すべきかを公卿に再検討させる趣旨であり、道真自身が将来にわたる制度の永久廃止を明確に要求した、とまでは言い切れません。

そのためこのサイトでは年表項目を『894年―遣唐使の派遣が停止される』としています。実際には894年の計画が実行されず、その後新たな遣唐使が派遣されないまま907年に唐自体が滅亡しました。

遣唐使がなくなると、中国との交流もなくなったのか

なくなっていません。ここがこのページで最も重要な点です。

福岡の鴻臚館こうろかんには、唐や新羅から使節だけでなく商人も来航していました。9世紀後半以降、鴻臚館は外交使節を迎える施設から、中国商人などとの交易の場としての性格を強めていきます。

鴻臚館跡からは大量の貿易陶磁器が出土しています。遣唐使がなくなっても中国製品や情報が日本へ入らなくなったわけではなく、国家使節とは別のルートによる交流が重要になっていきました。

資料で見る:福岡市文化財活用課「鴻臚館」

日本人が中国へ渡ることもなくなったのか

これも完全になくなったわけではありません。遣唐使船がなくても、中国商人などの船を利用して海を渡る方法がありました。

交流の主体は国家が派遣する大使節だけではなく、商人や僧侶などの往来へ広がっていきます。

したがって『遣唐使停止=人の往来も停止』とは考えません。

鴻臚館の役割はどう変わったのか

鴻臚館は現在の福岡市にあった古代の外交施設です。もともとは唐・新羅などの外交使節を迎え、日本の遣唐使などが出発・帰国する玄関口として機能しました。

9世紀になると外交のあり方が変化し、鴻臚館は使節を迎える施設だけでなく、外国商人が滞在して交易する施設としての役割を強めていきます。

遣唐使の停止は、こうした東アジア交流の形の変化と一緒に理解する必要があります。

907年―唐そのものが滅亡する

894年からわずか13年後の907年、唐が滅亡しました。日本が遣唐使を送って学んできた巨大帝国そのものがなくなったことになります。

中国はその後、五代十国の分裂期を経て、10世紀後半に宋が成立します。

つまり894年の遣唐使停止は、日本だけの事情で起きた孤立政策ではありません。唐を中心としていた東アジアの国際環境そのものが変化していた時代の出来事でもあります。

遣唐使停止から国風文化が生まれたと考えてよいのか

10世紀になると、かな文字・和歌・大和絵・寝殿造など、日本社会の中で発達した文化が目立つようになります。これを国風文化こくふうぶんかと呼びます。

しかし『894年に遣唐使停止 → 中国文化が入らなくなる → 日本だけで国風文化を作った』という説明は適切ではありません。遣唐使停止後も中国の書籍・陶磁器・仏教文化などは入り続けました。

日本は大陸から受け取ってきた文化を土台にしながら、自国の社会や言語に合わせた文化を発展させていきます。ここは次の国風文化の学習へつながります。

このページで覚えたい流れ

838年、最後に実際に唐へ渡る遣唐使が出発する → その後、長期間遣唐使は送られない → 一方で唐・新羅などの商人は日本へ来航する → 鴻臚館が外交だけでなく交易の拠点となっていく → 唐の文物や情報は遣唐使以外のルートでも日本へ入る → 894年、久しぶりに遣唐使派遣を計画する → 菅原道真が遣唐大使となる → 唐の混乱・航海の危険などを踏まえて派遣の再検討を求める → 894年の遣唐使は実施されない → その後も遣唐使は派遣されない → ただし商人・僧侶・文物の交流は続く → 907年、唐が滅亡する

894年を日本が海外交流をやめた年とは考えません。国家使節である遣唐使の派遣は途絶えましたが、東アジアとの交流は形を変えて続き、外来文化を受容しながら10世紀の国風文化へつながっていきます。

Review

入試で押さえるポイント

  • 838年、実際に唐へ渡った最後の遣唐使が出発する
  • 894年、菅原道真が遣唐大使に任命されるが、派遣は実施されない
  • 受験では菅原道真が遣唐使廃止を建議と覚える一方、より正確には派遣停止として理解する
  • 背景には唐の政治的混乱、航海の危険、遣唐使の必要性低下がある
  • 遣唐使停止を対外交流停止と考えない。9〜10世紀にも東アジアの商人との私貿易が続く
  • 鴻臚館は外交施設から交易拠点としての性格を強めていく
  • 907年、唐が滅亡する
  • 遣唐使停止と国風文化を単純な因果関係にせず、外来文化の継続的受容と日本社会に合わせた発展として理解する

Check

理解度チェック

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0 / 5 問回答

  1. 問1

    894年の遣唐使は実際に唐へ渡っており、これが最後の遣唐使となった。

  2. 問2

    菅原道真が894年の遣唐使派遣を再検討したのは、中国文化そのものを嫌っていたからである。

  3. 問3

    894年については、道真が将来にわたる遣唐使制度の永久廃止を明確に要求したと断定するより、派遣停止として理解する方が慎重である。

  4. 問4

    遣唐使の派遣が止まった後も、唐や新羅の商人などを通じて東アジアとの交易や文物の流入は続いた。

  5. 問5

    国風文化は、894年以後に中国文化がまったく入らなくなったため、日本だけで独自に生まれた文化である。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 最後の遣唐使が唐へ渡る
  2. 東アジアの商人との私貿易が続く
  3. 遣唐使の派遣が停止される
  4. 唐が滅亡する
  5. 国風文化

Sources

参考資料

  1. 日中歴史共同研究報告書 古代・中近世史外務省

    承和遣唐使、894年の遣唐使計画と菅原道真の建議、遣唐使停止の位置づけを参照。

  2. 令和2年講書始の儀 日本文化と唐物―遣唐使以後の対外交流宮内庁

    9世紀以降の貿易船来航、遣唐使停止後も続く中国文物の受容と国風文化との関係を参照。

  3. 鴻臚館―古代日本の外交・交易の窓口福岡市

    鴻臚館の外交・交易機能、9世紀後半以降の外国商人との交易について参照。

  4. 菅原道真と遣唐使大阪府立中之島図書館

    『菅家文草』にみえる894年の建議と、唐の情勢・航海の危険について参照。