大型前方後円墳の終焉―なぜ古墳の時代は終わっていったのか
一言でいうと
6世紀後半になると、大型前方後円墳の築造は次第に衰えます。しかし古墳そのものが突然造られなくなったわけではありません。一方では横穴式石室をもつ小型古墳や群集墳が広がり、7世紀にも方墳などの終末期古墳が造られました。古墳時代の終わりは、墓を造らなくなったことではなく、前方後円墳を通じて大王と各地の有力者の政治関係を示す仕組みが役割を変え、寺院・宮殿・制度など新しい権威の表現へ移っていく過程として理解します。
5世紀まで、巨大古墳は政治そのものだった
3〜4世紀、各地の有力者が前方後円墳という共通する墓の形を採用したことは、近畿の有力者を中心とする広域的な政治関係を考える重要な手がかりでした。
5世紀には百舌鳥・古市古墳群に巨大前方後円墳が築かれます。大規模な墳丘を造るには多くの労働力・食料・道具・土木技術を長期間組織する必要があり、巨大古墳は被葬者の政治力を示す記念物でもありました。
つまり、前方後円墳は単なる墓ではなく、大王と地域有力者の序列や結びつきを目に見える形で表す重要な政治的装置でもあったと考えられます。
6世紀にも大型前方後円墳は造られている
大型前方後円墳は5世紀の終わりに突然消えたわけではありません。6世紀にも大規模な前方後円墳が築かれています。
奈良県橿原市の丸山古墳は、墳丘長300メートルを超える古墳時代後期の巨大前方後円墳です。大型前方後円墳の伝統が6世紀まで続いていたことを示します。
資料で見る:文化遺産オンライン「丸山古墳」
したがって、大型前方後円墳の終焉は一度に起こった出来事ではなく、6世紀後半へ向けて徐々に進んだ変化として理解します。
前方後円墳の終わり方には地域差がある
前方後円墳が造られなくなる時期は地域によって異なります。日本列島全体で同じ年に築造が終了したわけではありません。
地域によっては6世紀末から7世紀初めまで前方後円墳が築かれた例があります。政治的・社会的な変化の進み方にも地域差があったと考える必要があります。
そのため、「西暦600年に全国で前方後円墳が禁止された」というような一律の変化として考えないようにします。
大型前方後円墳の衰退は全国同時の一回の出来事ではなく、地域差を伴って進んだ長期的な変化です。
その一方で群集墳が増えていく
大型前方後円墳が衰える一方、6世紀には小型の古墳がまとまって造られる群集墳が各地に広がりました。
大阪府八尾市の高安千塚古墳群では200基を超える古墳が確認され、6世紀後半を中心に多数の小型円墳が築かれました。
資料で見る:文化庁 国指定文化財等データベース「高安千塚古墳群」
したがって、大型前方後円墳の衰退を、古墳を造る習慣そのものの衰退と考えることはできません。墓の規模や造る人々の範囲、地域社会での役割が変化していたと考えます。
横穴式石室が広がる
5世紀後半から6世紀には、横穴式石室が各地へ広がりました。墳丘の横から通路を通って石室へ入る構造で、入口を再び開くことができます。
そのため、一度埋葬した後に別の人物を同じ石室へ葬る追葬が可能になりました。
一人の有力者のために巨大な墓を築く形だけでなく、複数の人物を同じ墓へ葬る形が広がったことは、古墳時代後期の墓制の大きな変化です。
前方後円墳が終わっても有力者の墓はなくならない
大型前方後円墳が衰えた後も、有力者は大規模な墓を造り続けました。変化したのは古墳そのものの有無ではなく、墳形や墓制です。
奈良県明日香村の都塚古墳は6世紀後半ごろの大型方墳で、前方後円墳の築造が終わる方向へ進む中、有力者の墓の形が変化していくことを考える重要な例です。
資料で見る:文化庁 国指定文化財等データベース「都塚古墳」
7世紀初めごろの石舞台古墳のように、巨大な横穴式石室をもつ古墳も造られています。前方後円墳の終焉と古墳そのものの終焉は区別する必要があります。
なぜ前方後円墳を造らなくなったのか
前方後円墳が衰えた理由を一つだけに決めることはできません。しかし、5〜6世紀には氏姓制度・国造・部・屯倉など、王権と有力者を結びつける政治的な仕組みが発達しました。
初期のヤマト王権では、共通する前方後円墳を造ること自体が政治関係を示す重要な方法でした。一方、王権の組織化が進むにつれ、有力者を王権内に位置づける方法も多様になります。
氏姓制度が成立したから前方後円墳がただちに廃止された、という単純な因果関係ではありません。王権や社会の変化の中で、前方後円墳が担っていた政治的役割が次第に変化したと考えるのが適切です。
前方後円墳の衰退を一つの制度や命令だけで説明せず、王権の組織化と権威表現の変化の中で理解します。
新しい権威の象徴として寺院が現れる
6世紀末には、古墳とは異なる大規模建造物として仏教寺院が登場します。587年に物部守屋が敗れた翌588年、蘇我馬子によって飛鳥寺の造営が始まりました。
寺院を造るには大量の木材・瓦・金属・仏像だけでなく、建築や工芸に関わる専門技術者を組織する必要があります。寺院建立も、豪族や王権の政治力・経済力を示す重要な事業になりました。
巨大な建造物を造る目的が墓だけではなく、現世で利用される寺院や宮殿などへ広がったことは、古墳時代から飛鳥時代への転換を考える重要な変化です。
古墳文化は突然消えたわけではない
古墳と寺院を、完全に切り離された二つの文化として考える必要もありません。飛鳥寺の塔の地下からは、玉類や武器・馬具など古墳の副葬品と共通する性格をもつ品々も見つかっています。
古墳時代の儀礼や価値観の一部を引き継ぎながら、新しい仏教寺院の文化が形成されたと考えることができます。
つまり、古墳文化がある日突然消えて仏教文化に置き換わったのではなく、古い文化を引き継ぎながら新しい政治・宗教文化へ移行していきました。
では古墳時代はいつ終わるのか
政治史では592年の推古天皇即位などを飛鳥時代の開始の目安とする場合があります。しかし考古学的には、592年になった瞬間に古墳築造が終わったわけではありません。
7世紀にも方墳・八角墳などの有力者墓が造られ、これらは終末期古墳として扱われます。
したがって、政治史上の時代区分と考古学上の墓制の変化は完全には一致しません。古墳時代から飛鳥時代への移行は、6世紀後半から7世紀にかけて進んだ長期的な変化として理解します。
592年=考古学的に古墳がすべて造られなくなった年、ではありません。政治史の時代区分と考古学的な変化を分けて考えます。
このページで覚えたい流れ
3〜5世紀、前方後円墳が大王と地域有力者の政治関係を示す → 5世紀に巨大前方後円墳が最盛期を迎える → 5世紀後半〜6世紀、横穴式石室が広がる → 6世紀に群集墳が増える → 6世紀後半、大型前方後円墳が衰える → 有力者の墓は方墳などへ変化する → 588年、飛鳥寺の造営が始まる → 寺院が新しい権威表現の一つとなる → 7世紀にも終末期古墳は続く → 前方後円墳を中心とする政治秩序から飛鳥時代の古代国家形成へ移っていく
古墳時代の終わりを「古墳がなくなった」と捉えるのではなく、前方後円墳という墓制を中心に政治関係を表現する社会が変化したと理解します。
Review
入試で押さえるポイント
- 5世紀後半〜6世紀、横穴式石室が各地へ広がり、追葬が可能になった
- 6世紀には小型古墳がまとまる群集墳が各地に築かれた
- 大型前方後円墳は6世紀後半から末ごろに衰退する
- 前方後円墳の築造が終わる時期には地域差があり、全国で同じ年に終了したわけではない
- 前方後円墳が衰えた後も方墳などの大型古墳や終末期古墳は造られ続けた
- 588年、蘇我馬子が飛鳥寺の造営を始めた
- 寺院建立は王権や豪族が政治力・経済力を示す新しい方法の一つとなった
- 古墳時代から飛鳥時代への移行は一つの年に起きたのではなく、6世紀後半〜7世紀に進んだ長期的な社会変化
- 592年を考古学的な古墳築造の完全な終了年と考えない
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- 問1
大型前方後円墳は5世紀末に全国で突然造られなくなった。
6世紀にも大型前方後円墳は築かれ、衰退は地域差を伴いながら6世紀後半へ向けて徐々に進みました。
本文の該当箇所を確認する - 問2
前方後円墳が造られなくなる時期には地域差があり、日本列島全体で同じ年に終了したわけではない。
地域によっては6世紀末から7世紀初めまで前方後円墳が築かれた例があり、終焉は全国同時ではありません。
本文の該当箇所を確認する - 問3
大型前方後円墳が衰えると、古墳を造る習慣そのものもすぐに消滅した。
6世紀には群集墳が広がり、前方後円墳の衰退後も方墳や終末期古墳が造られました。変化したのは墳形や墓制です。
本文の該当箇所を確認する - 問4
氏姓制度が成立したため、王権が一度の命令で全国の前方後円墳をただちに廃止したと考えられる。
前方後円墳の衰退を一つの制度や命令だけで説明することはできません。王権の組織化や権威表現の変化の中で長期的に進みました。
本文の該当箇所を確認する - 問5
592年を飛鳥時代開始の目安とする場合でも、考古学的に592年を境に古墳築造が完全に終わったわけではない。
7世紀にも方墳・八角墳などの終末期古墳が造られます。政治史上の時代区分と考古学上の墓制変化は完全には一致しません。
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Timeline
関連する年表
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Sources
参考資料
- 丸山古墳文化庁 文化遺産オンライン
古墳時代後期の大型前方後円墳の例として参照。
- 高安千塚古墳群文化庁 国指定文化財等データベース
6世紀を中心とする群集墳と横穴式石室について参照。
- 都塚古墳文化庁 国指定文化財等データベース
前方後円墳衰退後の大型方墳と有力者墓の変化について参照。
- 石舞台古墳文化庁 国指定文化財等データベース
7世紀初めごろの大型横穴式石室をもつ終末期古墳の例として参照。
- 飛鳥資料館と飛鳥寺跡に関する資料奈良文化財研究所
飛鳥地域の終末期古墳と、古墳時代から飛鳥時代への考古学的な移行について参照。
