自公連立解消・自民維新連立と高市政権―2025〜2026年の政党再編は国政構造をどう変えたのか
一言でいうと
2025年、石破政権下で自民党・公明党は参議院でも過半数を失い、長く続いた自公連立は10月に解消されました。自民党は日本維新の会と連立政権の樹立で合意し、10月21日に高市早苗内閣が発足しました。高市は日本初の女性首相となりましたが、この時点では自民・維新を合わせても衆参両院で過半数に届かず、政権基盤はなお少数与党でした。その後、立憲民主党と公明党の衆議院議員らによる中道改革連合の結成など、政党再編が進むなかで衆議院が解散され、2026年2月8日の総選挙では自民党が315議席を獲得しました。自民党は単独で衆議院の3分の2を超える議席を得て、2月18日に第2次高市内閣が発足しました。2025年秋から2026年春にかけては、連立相手の交代と総選挙によって、少数与党から大きな衆議院多数を持つ政権へ国政構造が急速に組み替わった時期です。
2025年参院選は、なぜ政党再編の出発点になったのか
2024年衆院選後、自民党と公明党は衆議院で過半数を失い、石破政権は野党との政策協議に依存する少数与党となっていました。さらに2025年7月20日の参議院選挙でも、自民・公明両党は非改選議席を合わせて参議院の過半数を確保できませんでした。
石破茂首相は9月7日、自民党総裁を辞任する意向を表明しました。これにより、少数与党のまま政権運営を続けるだけでなく、誰が自民党を率い、どの政党と協力関係を築くのかが新しい焦点になりました。
このTopicでは、2024年衆院選後の与野党協議そのものではなく、2025年参院選後に連立相手と政党配置が変化した過程を中心に扱います。
26年間の自公協力は、なぜ終わり、自民・維新連立へ変わったのか
自民党では2025年10月に高市早苗が総裁となりました。10月10日、公明党は自民党との連立政権をいったん白紙とし、長年の協力関係に区切りをつける方針を示しました。公明党側は、政治資金問題をめぐる自民党の対応などを理由として説明しました。
自民党は新たな政権基盤を求め、日本維新の会と協議しました。10月20日、両党は連立政権の樹立で合意し、物価高対策、社会保障改革、統治機構改革、憲法など幅広い政策分野で協力する枠組みを作りました。日本維新の会は閣僚を出さない閣外協力の形を取りましたが、両党は連立政権合意に基づいて政策実現を進めることになりました。
重要なのは、単に『公明党が維新に入れ替わった』と見るだけでは不十分なことです。連立相手が変われば、政権が合意形成の基盤とする政策分野や、国会で協力を求める相手も変わります。2025年秋の再編は、1999年以来の自公協力を前提としてきた国政の配置を大きく変えました。
高市内閣発足で、政権基盤は安定したのか
2025年10月21日、高市早苗は第104代内閣総理大臣に就任し、日本初の女性首相となりました。自民党と日本維新の会の連立によって新しい政権の枠組みはできましたが、発足時点では両党を合わせても衆議院・参議院のどちらでも過半数に届きませんでした。
したがって、第1次高市内閣も当初は少数与党政権でした。高市首相は、連立合意を基礎としつつ、他党からの政策提案も受け、案件ごとに協力を求める方針を示しました。連立相手が変わっても、議席数の問題が直ちに解消されたわけではありません。
この段階では、自民・維新連立が長期的にどのような政党配置を作るかは未確定でした。むしろ、次の総選挙で有権者が新しい連立と高市政権をどう評価するかが、政権基盤を決める大きな要素となりました。
2025年10月の自民・維新連立は政権の組み合わせを変えましたが、発足時点で少数与党という議席状況まで解消したわけではありません。
2026年衆院選までに、野党側はどう再編されたのか
自公連立の解消は野党側の配置にも影響しました。2026年1月16日、立憲民主党と公明党は、両党の衆議院議員らが参加する新党『中道改革連合』の結成を発表しました。従来は連立与党だった公明党が、総選挙を前に立憲民主党側と新たな選挙・政党協力へ動いたことは、2025年秋以降の再編の大きさを示しています。
1月23日に衆議院が解散され、2月8日に総選挙が行われました。自民党は315議席を獲得し、単独で衆議院の3分の2を超えました。これは、2024年衆院選後の少数与党状態から見ると、衆議院の政権基盤が大きく反転したことを意味します。
ただし、衆議院で大多数を得たことと、参議院を含めてあらゆる政策を自由に決められることは同じではありません。また、高市首相は日本維新の会との連立関係を継続する方針を示しました。総選挙の結果は自民党単独の議席を大きく増やしましたが、連立再編が消滅したわけではありません。
第2次高市内閣で、国政構造はどう変わったのか
2026年2月18日、第2次高市内閣が発足しました。第1次内閣が衆参両院で少数与党として出発したのに対し、第2次内閣は自民党が衆議院で単独3分の2超を持つ大きな議席基盤の上に成立しました。
この変化により、衆議院では政府・与党が法案や予算を通す際の数的基盤が大幅に強まりました。一方、参議院の議席構成や連立合意、各党との政策調整は引き続き重要であり、『選挙で大勝したため与野党協議が不要になった』と単純化することはできません。
2026年8月21日時点では、自公連立解消から1年も経っておらず、自民・維新連立や中道改革連合が長期的な政党システムとして定着するかは判断できません。このTopicで確定できるのは、連立相手の交代と総選挙によって政権を支える議席構造が短期間に大きく変化した、というところまでです。
流れを整理すると
2025年7月 参院選で自公が過半数割れ → 9月 石破首相が自民党総裁辞任を表明 → 10月10日 公明党が自公連立に区切り → 10月20日 自民・維新が連立政権樹立で合意 → 10月21日 高市内閣発足・日本初の女性首相 → 2026年1月 中道改革連合結成・衆議院解散 → 2月8日 衆院選で自民党315議席 → 2月18日 第2次高市内閣発足
Review
入試で押さえるポイント
- 2025年参院選で自民・公明両党は参議院でも過半数を失い、石破政権の基盤がさらに弱まった
- 2025年10月に自公連立が解消され、自民党と日本維新の会が連立政権の樹立で合意した
- 2025年10月21日に高市早苗内閣が発足し、日本初の女性首相が誕生したが、発足時点では衆参とも少数与党だった
- 2026年1月には立憲民主党と公明党の衆議院議員らによる中道改革連合が結成され、政党再編が総選挙前にも進んだ
- 2026年2月の衆院選で自民党は315議席を獲得し単独3分の2超となり、第2次高市内閣の衆議院基盤は大幅に強まった
- 2025〜2026年の政党再編の長期的な定着や歴史的評価は、2026年8月21日時点では確定していない
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- 問1
2025年参院選で自民・公明が参議院でも過半数を失ったことは、その後の自民党総裁交代や連立再編へつながる政治状況の一つとなった。
2024年衆院選後の少数与党に加え、2025年参院選でも与党が過半数を失い、政権基盤と連立の組み方が改めて問われました。
本文の該当箇所を確認する - 問2
2025年秋には自公連立が解消され、自民党と日本維新の会が連立政権の樹立で合意した。
1999年以来続いた自公協力に区切りがつき、2025年10月20日に自民・維新が連立政権樹立で合意しました。
本文の該当箇所を確認する - 問3
2025年10月の第1次高市内閣発足時点で、自民・維新は衆議院・参議院の両方で安定過半数を確保していた。
連立の枠組みは変わりましたが、発足時点では衆参とも過半数に届かず、少数与党として政権運営を始めました。
本文の該当箇所を確認する - 問4
2026年2月の衆院選で自民党は315議席を獲得し、衆議院では単独で3分の2を超える議席を得た。
2024年衆院選後の少数与党状態から、2026年総選挙で自民党の衆議院基盤は大幅に強まりました。
本文の該当箇所を確認する - 問5
2026年衆院選で自民党が大多数を得たため、参議院の議席構成や日本維新の会との連立合意、他党との政策調整はその後すべて不要になった。
衆議院の数的基盤は強まりましたが、参議院の議席構成や連立関係は別の条件です。すべての政策調整が不要になったわけではありません。
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