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戦国時代15世紀後半文化重要度 A

東山文化―北山文化から何が変わったのかひがしやまぶんか きたやまぶんかからなにがかわったのか

一言でいうと

東山文化は、8代将軍足利義政の時代を中心とする15世紀後半の文化です。義政が1482年から京都東山に造営した東山殿は、のちの慈照寺となり、文化人が集う場でもありました。現在も残る東求堂や銀閣には、禅宗文化や中国文化を受け継ぎながら、後の書院造や茶の湯につながる新しい生活・鑑賞空間の形成を見ることができます。北山文化が「豪華」、東山文化が「質素」とだけ覚えず、北山文化から続く武家・公家・禅宗・中国文化の融合が、書院・茶・連歌・水墨画などの生活文化としてさらに展開した点を理解します。

東山文化とはいつの文化なのか

東山文化は、主として15世紀後半、8代将軍足利義政あしかがよしまさの時代を中心とする文化を指す学習上の呼び方です。名称は義政が京都東山に造営した東山殿に由来します。

ただし、1482年に東山殿の造営が始まった瞬間、新しい文化が突然誕生したわけではありません。北山文化で発達した武家・公家・禅宗・中国文化の交流、水墨画や連歌などの文化的基盤を受け継いでいます。

したがって「北山文化が終わり、別物の東山文化が始まった」と考えるのではなく、室町文化が15世紀後半に新しい生活・鑑賞文化へ展開した過程として理解します。

北山文化と何が同じなのか

北山文化も東山文化も、京都を舞台に武家・公家・禅僧・寺社などが交わり、中国から伝わった文化を取り入れる環境から生まれました。

水墨画も東山文化になって突然現れたものではありません。中国の宋・元絵画の影響を受け、禅宗寺院を重要な基盤として室町時代前半から発達していました。

東山文化の特徴を見るときは、北山文化との断絶よりも、既存の文化がどのように生活空間・鑑賞方法・交流の場へ入り込んだかに注目します。

足利義政と東山殿はどんな関係にあるのか

1482年、義政は京都東山で東山殿ひがしやまどのの造営を始めました。現在の慈照寺は、義政の死後にこの東山殿を禅寺としたものです。

東山殿には池を中心として、観音殿である銀閣や持仏堂である東求堂などが建てられました。また文化人が集まり、建築・絵画・茶・連歌などの文化活動が交わる場にもなりました。

義満の北山殿も政治・宗教・文化が重なる空間でしたが、東山殿では鑑賞・交流・生活の空間そのものが後世の日本文化へ大きな影響を与えた点に注目します。

銀閣は金閣の質素版なのか

銀閣は東山殿の観音殿かんのんでんとして1489年に上棟された二層の建物です。一階には住宅的な要素、二階には禅宗様を基調とする仏殿的な要素があります。

金閣と比べると外観の違いが目につきますが、「豪華な金閣に対して質素な銀閣」とだけ覚えるのは不十分です。どちらも一つの建築様式だけでできているのではなく、住宅・仏教建築など複数の文化的要素を組み合わせています。

銀閣は、北山文化から続く複合的な文化を受け継ぎながら、新しい住宅・鑑賞空間へ展開した建築として理解します。

東求堂の同仁斎はなぜ重要なのか

東山文化で特に重要なのが東求堂とうぐどうです。内部には四畳半の同仁斎どうじんさいがあります。

同仁斎には付書院や違棚があり、文化庁はこれらを現存最古の例として、書院造の源流に位置づけています。

ただし「完成した書院造そのもの」とは考えません。後の書院造につながる重要な要素が現れ、室内に書画や器物を飾り、人が座って鑑賞する生活文化が発達していったと理解します。

なぜ東山文化から後の和室につながるのか

畳を敷いた部屋、書院、棚などの要素は、後の書院造や和室へつながる空間構成の基礎となりました。ただし、床の間など近世の書院造の要素がこの時点ですべて完成していたわけではありません。

重要なのは、建築の形だけではなく、限られた室内に書画・器物を飾り、人が集まって鑑賞する文化が発達したことです。

東山文化では、建築・美術・茶などが同じ生活空間のなかで結びついていきました。

雪舟はなぜ東山文化を代表するのか

水墨画を代表する人物が雪舟せっしゅうです。ただし、雪舟を義政のお抱え絵師と考えてはいけません。雪舟は禅僧として水墨画を学び、大内氏のもとでも活動し、遣明船に乗って中国へ渡りました。

帰国後は中国で学んだ絵画をそのまま模倣するのではなく、日本で蓄積されていた水墨画の伝統と結びつけ、独自の水墨山水画を発展させました。

雪舟は、水墨画を日本へ初めて伝えた人物ではありません。前の北山文化Topicで学んだ周文らから続く水墨画の展開を、15世紀後半に大きく発展させた人物として位置づけます。

村田珠光は侘び茶を完成させたのか

茶の湯では村田珠光むらたじゅこうが重要です。室町時代には、中国から輸入された高価な唐物を鑑賞する茶会も盛んでした。

珠光はそうした茶の文化を受け継ぎながら、国産の道具にも価値を見いだし、より簡素な空間と精神性を重視する草庵の茶へつながる方向を示しました。

ただし珠光一人が侘び茶を完成させたわけではありません。その後、武野紹鷗を経て千利休へつながる長い展開の重要な段階として理解します。

連歌はなぜ東山文化で重要なのか

文学では連歌れんがが重要です。複数の人が句を順番につないで作品をつくるため、個人の表現だけでなく、前の句を受けて次へつなぐ共同性が必要でした。

15世紀には専門的な連歌師が活躍し、なかでも宗祇そうぎは各地を旅して公家・武士・地方の文化人などと交流しました。1495年には宗祇らによる『新撰菟玖波集』が成立します。

連歌師の移動は、戦国時代の文化が京都だけに閉じず、地方の有力者や文化人を結ぶネットワークとして広がっていたことも示します。

北山文化と東山文化は結局何が違うのか

北山文化では、義満の政治的権威を背景として、武家・公家・禅宗・中国文化が将軍を中心に強く結びつきました。象徴となるのが北山殿と金閣です。

東山文化でもこの文化的な混合は続いていますが、東求堂・同仁斎、珠光らの茶、宗祇らの連歌、雪舟の水墨画などを通じて、限られた空間で物を鑑賞し、人が集まり、交流する生活文化がさらに発達しました。

したがって「北山文化=豪華、東山文化=質素」だけではなく、「北山文化で形成された文化的融合 → 東山文化で書院・茶・連歌・水墨画などの生活・鑑賞文化としてさらに展開」と覚えます。

応仁の乱で文化は衰えなかったのか

東山文化が発達した15世紀後半は、応仁・文明の乱とその後の政治的混乱の時代でもあります。しかし政治的混乱と文化活動は単純に反比例するわけではありません。

幕府の政治力が揺らぐ一方、公家・寺社・武士・町衆・地方の有力者など、文化を支える主体は複数存在しました。また雪舟や宗祇のように、文化人自身も京都と地方の間を移動しました。

戦国時代は政治秩序の再編だけでなく、文化の担い手やネットワークも広がっていく時代でした。

このページで覚えたい流れ

北山文化で武家・公家・禅宗・中国文化が結びつく → 15世紀後半もその文化的基盤が継承される → 1482年 足利義政が東山殿の造営を開始 → 1485年 東求堂・同仁斎に書院造へつながる空間が形成 → 1489年 観音殿(銀閣) → 雪舟が水墨画を発展 → 村田珠光らの茶が後の侘び茶へ → 宗祇らによって連歌が広く展開 → 書院・茶・絵画・文学が鑑賞と交流の生活空間に結びつく → 後の日本の住宅・茶の湯・美術文化へ影響

Review

入試で押さえるポイント

  • 東山文化は15世紀後半、8代将軍足利義政の時代を中心とする文化
  • 義政は1482年から東山殿を造営し、死後に慈照寺となった
  • 東求堂の同仁斎には付書院・違棚があり、書院造の源流として重要
  • 銀閣は1489年に上棟された観音殿で、住宅的要素と禅宗様の仏殿的要素を持つ
  • 雪舟は中国へ渡って絵画を学び、日本の水墨画を大きく発展させた
  • 村田珠光の茶と宗祇らの連歌を、生活・鑑賞文化と文化ネットワークの発展として理解する

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  1. 問1

    東山文化は1482年に東山殿の造営が始まったことで、北山文化とのつながりを持たず突然生まれた。

  2. 問2

    北山文化と東山文化には、京都で武家・公家・禅僧などが交わり、中国文化を取り入れたという連続性がある。

  3. 問3

    東求堂同仁斎は、床の間など近世の要素まで備えた完成形の書院造そのものだった。

  4. 問4

    雪舟は日本へ水墨画を初めて伝えた人物であり、それ以前には日本で水墨画は発達していなかった。

  5. 問5

    応仁・文明の乱の時代でも、公家・寺社・武士・町衆・地方の有力者など複数の担い手が文化を支え、文化人の地域間移動もみられた。

Timeline

関連する年表

前後の出来事とつなげて位置を確認できます。

  1. 東山文化
  2. 足利義政が東山殿の造営を始める
  3. 東山殿に東求堂が建てられる
  4. 東山殿に観音殿(銀閣)が建てられる
  5. 雪舟が水墨画を大成する
  6. 村田珠光らによって侘び茶の基礎がつくられる
  7. 宗祇らの『新撰菟玖波集』が成立する

Sources

参考資料

  1. 世界遺産(世界文化遺産) 慈照寺(銀閣寺)京都市

    東山殿の造営、義政と東山文化、文化人の交流拠点としての位置づけを確認する資料

  2. 慈照寺東求堂文化庁 国指定文化財等データベース

    東求堂・同仁斎、付書院・違棚と書院造の源流としての位置づけを確認する資料

  3. 慈照寺銀閣文化庁 国指定文化財等データベース

    銀閣の年代と建築的特徴を確認する資料

  4. 破墨山水図東京国立博物館

    雪舟の経歴、中国渡航、水墨画の位置づけを確認する資料

  5. わび茶の成立裏千家

    村田珠光と後の侘び茶へつながる茶の展開を確認する資料